古葉竹識が築いた赤ヘル黄金期|名将の指導法と知られざる真相
広島の監督を退任した古葉氏は、1987年から横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の監督に就任しました。勝つ文化が定着していた広島とは異なり、長年低迷していた大洋の再建は困難を極め、3年連続Bクラスに終わるなど苦杯をなめました。しかし、この期間に古葉氏が蒔いた規律重視の種や、若手選手の意識改革へのアプローチは、後の1998年マシンガン打線による大洋・横浜の優勝へと繋がる重要な過渡期の試みであったと再評価されています。
プロの現場を退いた後、古葉氏の情熱は学生野球の育成へと注がれました。2008年、71歳にして東京国際大学野球部の監督に就任。当時無名に近かったチームを熱心に指導し、東京新大学野球連盟1部で初優勝を達成、全国大会への出場やプロ野球選手(伊藤和雄投手ら)の輩出を成し遂げました。名声に甘んじることなく、グラウンドで自らノックバットを握り続けた晩年の姿は、多くの教育関係者から称賛を集めました。
プライベートにおいては、家族を深く愛した人物としても知られます。息子の古葉隆明氏をはじめとする家族の手厚い支えを受けながら、球界引退後も少年野球教室や講演活動に尽力し、野球を通じた人格形成の重要性を生涯にわたって説き続けました。
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