流刑とは何か?死刑に次ぐ島流しの過酷な実態と配流された偉人の真相
「流刑」とは、罪人を居住地から遠く離れた指定の僻地や島嶼部へ強制的に移住させ、自由を制限する隔離・追放型の身体自由刑です。古代の中国法(唐律)を継承して日本に導入された律令制における「五刑(笞・杖・徒・流・死)」の序列において、流刑は死刑の直下に位置する極めて重い刑罰として定められました。
この律令法において、流刑は都からの距離や罪の重さに応じて次の3段階に厳格に区分されていました。
・近流(ごんりゅう/きんりゅう):都から比較的近い地域(越前、安芸、近江など)へ送る刑罰。
・中流(ちゅうりゅう):中距離の地域(信濃、丹後、伊予など)への配流。
・遠流(おんりゅう/えんりゅう):最も重い罪に科され、遠方や島嶼部(伊豆、隠岐、土佐、佐渡、薩摩など)へ送る刑罰。
時代が下り、武家社会が確立した江戸時代に入ると、幕府は法典『公事方御定書』の中でこの制度を再編します。武士や身分の高い者に対しては「配流」や「遠島(えんとう)」、町人や農民に対しては罪状に応じた「島流し(遠島)」が科されました。江戸時代の遠島は、主に江戸市中の重罪人を伊豆諸島(大島・八丈島・三宅島・新島・神津島・利島・御蔵島)へ、上方(大坂・京都)の罪人を薩摩の五島や隠岐などへ送り届ける体制が敷かれ、明治初期に近代刑法が整備されるまで存続しました。
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