エレナ・チャウシェスクの虚飾と最期|銃殺刑の理由と学歴詐称の真相
1989年12月25日、クリスマス当日の午後、トゥルゴヴィシュテの軍基地の一室で開かれた特別軍事法廷は、法的な手続きを極限まで省略した略式裁判でした。夫妻に突きつけられた罪状は、6万人を超える大量虐殺罪、国家権力の不法行使、国家経済の破壊、不正蓄財など極めて重いものでした。
法廷においてエレナは終始尊大で攻撃的な態度を崩さず、裁判官に向かって「あなたたちのような無知な人間に裁かれる筋合いはない」「私はこの国の母よ」と怒鳴り散らしました。彼女の冷酷で傲慢な性格は、死の直前まで変わることはありませんでした。
午後2時40分、死刑判決が下されると、夫妻は即座に両手を後ろ手に縛られました。エレナは「夫と一緒に死なせて!」「私を殺すな、母として育ててあげた恩を忘れたのか」と激しく抵抗し、護送する兵士たちに罵詈雑言を浴びせました。
基地の中庭に引き出された夫妻に対し、待機していた空挺部隊員3名が自動小銃(AK-47)の引き金を引きました。数十発の銃弾が撃ち込まれ、エレナとニコラエは即死しました。判決から執行まで、わずか数分の出来事でした。
なぜこれほど性急な裁判と銃殺刑が必要だったのでしょうか。その理由は、当時依然として抵抗を続けていた秘密警察(セクリターテ)の狂信派部隊による「独裁者奪還作戦」を阻止し、泥沼の内戦を防ぐためでした。そして処刑直後の凄惨な遺体映像が国営テレビで全世界に放映された理由は、「独裁者は完全に死んだ」という動かぬ証拠を国民と残存勢力に示し、戦闘を完全に終結させるための軍事上・政治上の不可欠な判断だったのです。
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