江戸城無血開城の真相|勝海舟と西郷隆盛が江戸100万人を救った理由

江戸城無血開城の真相|勝海舟と西郷隆盛が江戸100万人を救った理由の要点を丁寧に掘り下げてご紹介します。

総攻撃予定日のわずか2日前となる1868年3月13日と14日、江戸・田町にあった薩摩藩蔵屋敷(現在の東京都港区芝)にて、勝海舟と西郷隆盛による運命の会談が行われました。

勝は西郷に対し、慶喜の水戸での謹慎、城の引き渡し、武器・軍艦の接収といった現実的な降伏案を提示しました。同時に勝は、交渉が決裂した場合に備えて「江戸焦土作戦」の準備も整えていました。江戸の町に火を放ち、市民を避難させたうえで新政府軍を兵糧攻めにするという背水の陣を匂わせ、西郷に強烈なプレッシャーを与えたと伝えられています。

西郷は勝の大局観と誠意を受け止め、独断で翌日に迫っていた3月15日の江戸城総攻撃の中止を決断しました。西郷自身、もし攻撃を実行すれば諸外国の介入を招き、日本が植民地化される恐れがあることを深く理解していたのです。

吉田 誠

吉田 誠

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

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