名曲あずさ2号の真実|消えた8時発の謎と狩人兄弟の波乱・現在の全貌
『あずさ2号』を語る上で欠かせないのが、歌い手である兄弟デュオ「狩人」の波乱に満ちた歩みです。愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(1956年生まれ)と弟・加藤高道(1960年生まれ)は、幼少期から卓越した歌唱力を持ち、作曲家・都倉俊一氏に見出されて上京しました。
1977年3月25日にリリースされたデビューシングル『あずさ2号』は、累計売上80万枚を超える大ヒットを記録。同年の第19回日本レコード大賞新人賞、第8回日本歌謡大賞放送音楽新人賞など、当時の主要音楽新人賞を総なめにし、年末には『NHK紅白歌合戦』への初出場を果たしました。翌1978年にも『コスモス街道』のヒットで2年連続の紅白出場を果たすなど、兄弟デュオとしての地位を盤石なものにしました。
しかし、若くして浴びたスポットライトは、兄弟の関係性に深刻な亀裂を生じさせていきます。後年のインタビューや手記で明かされたところによると、10代・20代の多忙を極めた時期、私生活の境界線がないまま24時間行動を共にさせられたストレスが、徐々に二人の間に沈殿していきました。
さらに、音楽的志向の相違が決定的となります。兄の久仁彦氏はシャンソンやラテン音楽、クラシカルなボーカル表現を深く追求する職人肌のアーティスト志向を強めたのに対し、弟の高道氏はポップス、ロック、バラエティ番組への出演など、エンターテインメント性を重視するスタンスを志向しました。
長年のすれ違いの末、2007年に狩人は正式に活動を休止(事実上の解散)を発表。二人は別々の事務所に所属し、それぞれのソロ活動へと舵を切りました。メディアでは「兄弟の修復不可能な確執」としてセンセーショナルに報じられ、公の場で顔を合わせることすら避ける時期が続きました。
転機となったのは2010年代以降、互いがソロとして実績を積み、精神的な自立を果たしたことでした。互いの才能と実績を客観的に再評価できるようになった二人は、デビュー35周年や40周年といった節目を機に歩み寄り、兄弟としての感情的なもつれを脱して「プロの音楽ビジネスパートナー」としての再結成を選択しました。