佐藤浩市と父・三國連太郎の確執と和解|孫・寛一郎へ続く名優の血脈
多摩芸術学園映画学科へ進学し、やがて自身も役者の道を志すようになった佐藤浩市さん。しかし、その行く手には常に「三國連太郎の息子」という巨大なレッテルが重くのしかかりました。偉大すぎる父の七光りを浴びることを激しく嫌悪した浩市さんは、父の芸名である「三國」を継ぐことを拒み、本名の姓である「佐藤」を名乗り続けました。
一方の三國連太郎さんもまた、息子の役者入りを手放しで歓迎することはありませんでした。「あいつに役者が務まるわけがない」「簡単に甘い汁を吸えると思うな」といった冷ややかな言葉が伝えられるなど、親子の間には冷戦状態が続きます。浩市さんはインタビューなどで当時を振り返り、「絶対に親のコネには頼らない」「三國連太郎という怪物を超える役者になる」という強烈な反骨心だけが演技の原動力だったと明かしています。
家庭を捨てた父への私的な怒りと、表現者として目の前にそびえ立つ巨木へのプロフェッショナルな対抗心。二人の確執は、単なる親子喧嘩を超えた表現者同士の意地の張り合いへと発展していきました。
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