有森裕子の現在と波乱の軌跡|名言の真相から電撃離婚、社会貢献まで

有森裕子の現在と波乱の軌跡|名言の真相から電撃離婚、社会貢献までの特集記事をお届けします。専門的な知識が詰まっています。

有森裕子の名を語る上で外せないのが、1992年のバルセロナ五輪での銀メダルと、1996年アトランタ五輪での銅メダルの軌跡です。そして、日本中の涙を誘った「自分で自分をほめたい」というフレーズの背景には、常人では耐え難い肉体的・精神的苦痛が存在していました。

岡山市立就実高校から日本体育大学へと進んだものの、学生時代までの有森は決して世代トップのエリートランナーではありませんでした。実業団のリクルートに入社した際も、名将として知られる小出義雄コーチ(のち監督)に対し、自ら「走らせてください」と直訴して門を叩いた雑草精神の持ち主でした。小出監督は彼女の並外れた根性と内なる闘争心を見抜き、徹底した走り込みによって才能を開花させます。

バルセロナ五輪では、下馬評を覆してロシアのワレンティナ・エゴロワと歴史的デッドヒートを演じ、わずか8秒差で銀メダルを獲得。一躍国民的ヒロインとなりました。しかし、本当の地獄はその後に訪れます。

両足の踵(かかと)に激痛を走らせる足底筋膜炎に苦しみ、1994年には両足の手術を決断。歩行すら困難なリハビリ期間が続くなか、世間やメディアからは「有森はもう終わった」「引退すべきだ」という無責任なバッシングが浴びせられました。さらにアトランタ五輪の選考レースでは、怪我明けの有森が選考されたことに対して陸上関係者やマスコミから猛烈な「選考論争」が巻き起こります。

「なぜ実績だけで選ぶのか」「若手に譲るべきではないか」という冷たい視線を受けながら乗り込んだアトランタの酷暑のコース。有森は、足の痛みを抱えながらも先頭集団に食らいつき、アフリカ勢の台頭を退けて3位でゴールラインを駆け抜けました。その直後の特番インタビューで、溢れる涙を拭いながら発した言葉が、あの一言でした。

「メダルの色は銅かもしれませんけれど……終わってから、なんでもっとできなかったんだろうというレースばかりだったんですけど、初めて自分で自分をほめたいと思います」

当時の日本社会は、「お国のために走る」「周囲への感謝と謙虚さ」を美徳とする空気が支配的でした。その中で、過酷な挫折と孤独な戦いを耐え抜いた末に放たれた「他人の評価ではなく、自分の全力を自分が認める」という宣言は、日本人の精神文化にパラダイムシフトをもたらすほどの衝撃を与えたのです。

清水 千尋

清水 千尋

フード&トラベルライター

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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