甲骨文字の謎を解く|なぜ亀の甲羅に?半数未解読の真相と歴史
甲骨文字が近代の学術界に姿を現した経緯は、考古学史上でも極めてドラマチックな偶然から始まりました。清朝末期の1899年、北京の最高学術機関である国子監の祭酒(学長)を務めていた金石学者の王懿栄(おう・いえい)がマラリアを患った際、処方された漢方薬「竜骨(りゅうこつ)」に見慣れない刻傷があることに気づいたのが発端です。
当時、竜骨は古代哺乳類の化石や骨として薬用に売買されていましたが、古代青銅器の銘文に精通していた王懿栄は、そこに刻まれていた線が単なる傷ではなく、有意味な古代文字であることを見抜きました。彼は市中の薬店から骨を買い集め、調査に着手します。その後、研究者たちの追跡調査によって、これらの骨の出所が河南省安陽市郊外の小屯村一帯であることが突き止められました。
この地こそが、伝説とされていた殷王朝後期の都城跡である殷墟遺跡でした。それまで文献上の神話に近い存在と見なされることもあった殷王朝の実在性が、甲骨文字の発見によって同時代の一次史料として決定的に証明された瞬間でした。象形文字と古代中国の歴史を研究する上で、まさに20世紀初頭を代表する大発見となったのです。
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