任天堂・山内溥はなぜ「組長」と呼ばれた?豪快伝説とヤクザ説の真相
山内氏が社長に就任したのは1949年、わずか22歳の若さでした。祖父である2代目社長・山内積良氏が病に倒れたことで早稲田大学を中退し、家業を継ぐことになります。当時の任天堂は、明治時代から続く花札・トランプを製造する京都の同族企業に過ぎませんでした。
花札という商材の歴史的背景から、かつては職人気質の荒くれ者や賭場関係者との折衝も珍しくない業界でした。若き山内氏は就任の絶対条件として「親族役員の全員解雇」を突きつけ、古参幹部たちの激しい反発や労働争議を強烈なリーダーシップで鎮圧。創業家内部のしがらみを完全に断ち切り、独裁とも言えるトップダウン体制を構築しました。
その後、ディズニーキャラクターを起用したプラスチック製トランプの大ヒットで息を吹き返すと、タクシー事業や食品事業など数々の多角化の失敗を経て「エレクトロニクスを用いた玩具開発」へと舵を切ります。トランプ工場からファミコンを生み出す世界的メーカーへと生まれ変わらせた手腕こそが、山内氏が「任天堂の中興の祖」と讃えられる最大の理由です。
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