平家の落人はどこへ消えたのか?隠れ里の真相と末裔が守る風習の謎

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平家残党が身を隠した地は、現代の地図を見ても息を呑むような断崖絶壁や、深い谷の底に位置しています。追っ手が馬で踏み込めない天然の要害であることが絶対条件でした。

四国祖谷山系に位置する祖谷渓 平家落人の集落では、追っ手が迫った際にいつでも切り落とせるよう、自生するシラクチカズラで編んだ「祖谷のかずら橋」を架けて深谷を渡りました。平国盛(平教盛の別名とも)が安徳天皇を奉じて潜行したとされ、集落内には平家の紋章である「丸に揚羽蝶」が民家の瓦や神社の鳥居に誇らしげに刻まれています。

一方、関東随一の隠れ里として知られるのが日光の奥座敷、湯西川温泉 平家の里です。壇ノ浦から逃れた平忠房の一党が、雪深い山間の温泉で傷を癒やしながら定住したと伝わります。ここでは源氏の追討軍に見つかることを恐れ、外部に存在を知らせる一切の合図を禁じました。これが後述する数々の特有の生活様式へと繋がっていきます。

九州に目を向けると、宮崎県の秘境である椎葉村 平家伝説が際立ちます。ここでは、平清盛の孫にあたる平重盛の弟・平忠房、あるいは重盛の末子である平通盛の弟・平良勝らが隠れ住んだとされます。この椎葉村には、追討を命じられた源氏方の武将・那須与一の弟である那須大八郎(宗久)が平家残党の哀れな姿に同情し、幕府には「平家はすでに全滅した」と偽りの報告を行い、自らも平家の姫である鶴富姫と恋に落ちて共生を選んだという悲恋の逸話が残されています。

また、熊本県八代市の深山に位置する五家荘 落人集落(久連子・椎原・仁田尾・葉木・樅木)も著名です。平清盛の次男・平基盛の遺児行盛らが山深い谷ごとに分かれて隠れ住み、険しい地形を活かして互いに連絡を取り合いながら独自の自給自足生活を構築しました。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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