武内享の現在とチェッカーズ解散の真相|息子の騒動からライブの今

武内享の現在とチェッカーズ解散の真相|息子の騒動からライブの今の見逃せないポイントを一挙に解説しました。

チェッカーズは1983年のデビューから1992年のNHK紅白歌合戦でのラストステージまで、怒涛の10年間を駆け抜けました。その解散劇の真相については、四半世紀以上が過ぎた今も様々な憶測が飛び交っています。中でも世間の耳目を集めたのが、フロントマンである藤井フミヤとサイドボーカルの高杢禎彦との間に生じた決定的な確執でした。

発端は、初期のアイドル的路線を支えた売野雅勇・芹澤廣明コンビによる楽曲提供から、メンバーによる完全オリジナル楽曲への移行期にありました。音楽的な主導権を握りアーティストとしての脱皮を図るフミヤらと、バンド内での役割や露出バランスに葛藤を抱えたメンバーとの間に、徐々にすれ違いが生じていきます。2003年に高杢氏が出版した手記『チェックメイト』によって確執は公のものとなり、2004年にドラムの徳永善也(クロベエ)氏が舌がんで逝去した際の「お別れの会」では、発起人を巡る分断が決定的となりました。

この泥沼とも評された騒動の中で、リーダーである武内享が取ったスタンスは極めて一貫していました。当時、テレビの特番や雑誌の直撃取材、自身の公式ブログ等で発信された言葉には、特定の人物を悪者に仕立て上げるような安直な告発はありませんでした。「バンドは生き物であり、全員が真剣だったからこそ衝突し、それぞれの道へ進むしかなかった」という冷徹かつ温かな現実認識です。感情論に流されず、7人の青春が本物であったことを守り抜こうとする姿勢に、リーダーとしての強い矜持が表れていました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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