大日本帝国の国旗は旭日旗だったのか?日の丸との違いと歴史の真相

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日の丸が国家の標識として法的に定められたプロセスには、幕末の黒船来航に伴う緊迫した外交事情が深く関係しています。日の丸が国旗になった理由を歴史の糸を辿って検証すると、薩摩藩主・島津斉彬の強い進言に行き当たります。

1853年のペリー来航以降、日本近海には欧米諸国の軍艦や交易船が頻繁に出没するようになりました。当時、幕府や各諸藩が運用する船舶はそれぞれ独自の幟(のぼり)や旗を掲げており、遠目から日本の船であるか外国船であるかを識別することが極めて困難でした。そこで島津斉彬や幕臣・江川英龍らが「白地に日の丸」を日本共通の船印とするよう幕府に働きかけ、1854年(安政元年)、老中首座・阿部正弘の命により「日本惣船印(にほんそうふなじるし)」として日の丸が正式採用されたのです。

明治維新を迎えると、新政府はこの幕末の慣例を国家法制へと格上げします。それが明治太政官布告と国旗制定の歴史的転換点です。1870年(明治3年)1月27日の太政官布告第57号「商船規則」において、日本の商船が掲げるべき旗章として「御国旗(白地に赤丸)」の規格が法的に規定されました。さらに同年10月には太政官布告第651号「海軍御旗章国旗章並諸旗章」が発布され、国家を象徴する旗としての地位が強固に確立します。

こうして近代日本の黎明期に定められた日章旗は、大日本帝国憲法発布期から日清・日露戦争、第一次世界大戦、そして太平洋戦争に至るまで、一度も国旗の座を譲ることなく一貫して使用され続けました。これこそが、大日本帝国国旗の歴史と経緯における動かしがたい事実です。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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