板垣退助が創った政党の真相|自由党結成の理由と大隈重信との決定差

板垣退助が創った政党の真相|自由党結成の理由と大隈重信との決定差に関する注目トピックをまとめてご紹介します。関心のある方は必見です。

明治十四年の政変で下野した大隈重信もまた、翌1882年(明治15年)3月に「立憲改進党」を結成しました。歴史のテストや学び直しにおいて最も混同されやすいのが、この「自由党」と「立憲改進党」の路線の違いです。

両党は「反・藩閥政府」という一点では一致していましたが、その目指す国家像、思想的背景、そして支持基盤は対照的でした。

比較項目板垣退助「自由党」(1881年)大隈重信「立憲改進党」(1882年)構造的相違・編集部の分析思想的ルーツフランス流の急進的自由主義
(ルソーの社会契約論/中江兆民ら)イギリス流の穏健な立憲君主制
(ベンサム・ミル流の功利主義・議会主義)主権の所在を人民(一院制志向)に置くか、君民共治(二院制志向)に置くかの乖離。主な支持基盤地方の豪農・地主・没落士族・一般民衆
(地方農村部が中心)都市部の知識人・実業家・官僚経験者
(都市ブルジョワジー・慶應義塾出身者)地方の「草の根エネルギー」vs 都市の「エリート層」という支持層の断絶。目指す政治改革急速な国権拡大と民権の完全確立
地租軽減など農民の生活救済漸進的な憲政移行と財政改革
実業・通商の発展と近代化理念先行で急進的な自由党と、実利と制度設計を重んじる改進党。資金源・スポンサー地方富裕層の献金・党費
(資金力は脆弱で常に困窮)三菱財閥(岩崎弥太郎)との強力なパイプ
(強固な財政基盤)政府から「三菱の手先」と批判された改進党と、資金不足から内紛を起こした自由党。

このように、同じ反政府の旗印を掲げながらも、思想的土台と階層的利害が異なっていたため、両党は時に激しく対立し、政府による「分断工作」の格好の標的となってしまいました。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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