板垣退助が創った政党の真相|自由党結成の理由と大隈重信との決定差
明治十四年の政変で下野した大隈重信もまた、翌1882年(明治15年)3月に「立憲改進党」を結成しました。歴史のテストや学び直しにおいて最も混同されやすいのが、この「自由党」と「立憲改進党」の路線の違いです。
両党は「反・藩閥政府」という一点では一致していましたが、その目指す国家像、思想的背景、そして支持基盤は対照的でした。
このように、同じ反政府の旗印を掲げながらも、思想的土台と階層的利害が異なっていたため、両党は時に激しく対立し、政府による「分断工作」の格好の標的となってしまいました。
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