西郷隆盛はなぜ散ったのか?西南戦争の真相と最後のメッセージ

西郷隆盛はなぜ散ったのか?西南戦争の真相と最後のメッセージについて専門的な視点から解説いたします。専門家の見解をお届けします。

1877年2月、雪の降る鹿児島から熊本城を目指して北上した薩摩軍を迎え撃ったのは、創設間もない大日本帝国陸軍だった。平民から徴兵された兵士たちで構成された政府軍と、戦のプロフェッショナルである薩摩士族。戦力差と近代兵器の前に、当初は白兵戦で圧倒した薩摩軍も次第に補給路を断たれ、追い詰められていく。

その頂点となったのが、熊本の要衝・田原坂の戦いである。降りしきる雨と泥濘の中、17日間にわたって繰り広げられた激戦は、近代戦の残酷さをまざまざと見せつけた。政府軍が放った弾薬は1日30万発を超え、最新鋭のスナイドル銃が火を噴く中、薩摩軍は抜刀隊となって突撃を繰り返した。武士の魂と近代テクノロジーの正面衝突。田原坂で流された無数の血によって、日本の軍事体系は中世の残影を完全に脱ぎ捨て、近代軍隊へと脱皮することになった。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

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