萩尾望都の現在と絶縁の真相|『一度きりの大泉の話』と名作群の軌跡
少女漫画の黄金期を語る上で欠かせないのが、1970年から1972年にかけて東京都練馬区大泉で展開された「大泉サロン」です。萩尾望都と竹宮惠子という、後に「花の24年組」と呼ばれる才能が長屋で共同生活を送り、増山法恵氏らをはじめとする若き才能や編集者が集ったこの場所は、長年「少女漫画界のトキワ荘」として美談のように語り継がれてきました。
しかし、その実態は美談とはかけ離れた、才能の摩擦と心理的破綻の現場でした。2026年4月、萩尾望都が上梓したノンフィクション手記『一度きりの大泉の話』によって、半世紀にわたり沈黙を守り続けてきた絶縁の真相が当事者の筆から生々しく明かされたのです。
1973年、竹宮惠子氏から「距離を置きたい」「あなたの作品を見ると自分の描きたいものが描けなくなる」という趣旨の告白と疑念を直接突きつけられた萩尾氏は、深いショックから心身に異常をきたしました。描くことそのものを否定されたような衝撃は、彼女の胃腸を破壊し、長期間にわたって竹宮氏関連の名前を見るだけで体調を崩すほどのトラウマとなりました。
萩尾氏はその後、海外旅行などを経て傷を抱えたまま創作の世界に没頭し、名作『トーマの心臓』を描き上げます。手記の中で彼女が「竹宮さんとは二度とお会いすることはありません」と断言した背景には、過去の美化を拒み、自らの魂の傷跡に嘘をつかないという、表現者としての凄絶な誠実さがありました。
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