昭和の名優・竹脇無我の死因と壮絶な闘病記!娘の現在と親友の絆
1944年2月17日、千葉県我孫子市に生まれた竹脇無我。その名は、父親で当時NHKの看板アナウンサーとして国民的人気を誇った竹脇昌作によって、「我(エゴ)を無くし、無我の境地で生きてほしい」という願いを込めて名付けられました。
しかし、名門一家の平穏は長くは続きませんでした。父・昌作が激務によるノイローゼから1959年に自死を遂げるという衝撃的な悲劇に見舞われます。当時わずか15歳だった竹脇は、残された母と兄たちを支えるため、経済的な困窮の中で一家の大黒柱となることを余儀なくされました。
青山学院高等部在学中の1960年、映画『しかも彼等は行く』で俳優デビュー。彫りの深い精悍な顔立ちと、哀愁を漂わせる佇まいは瞬く間に映画関係者の目を引き、1970年のテレビドラマ『姿三四郎』で主人公を演じて爆発的な大ブレイクを果たします。若き日の圧倒的な美貌と凛とした気品は、まさに昭和を代表する二枚目スターの象徴でした。
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