白地に赤い丸だけではない?「日の丸」の知られざる変遷と幕末・明治の秘史【2026年最新考証】
日本全体を象徴する旗の必要性が決定的な形で浮上したのは、江戸時代末期のことである。異国船の出没が相次ぎ、幕府が長年維持してきた鎖国体制が揺らぎ始めると、日本の海域を航行する船がどこの国の所属であるかを明確に示す必要が生じた。
ここで決定的な役割を果たしたのが、薩摩藩主・島津斉彬である。斉彬は、幕府に対して「日本の船には白地に朱の丸を描いた大日本総船印を採用すべきだ」と強く進言した。当時、幕府内には異国船に倣って独自の紋様を考案しようとする動きもあったが、古来より吉兆の象徴とされてきた「日の丸」のシンプルかつ鮮明なデザインが選ばれることとなった。1854年(安政元年)、幕府の通達によって日の丸は「日本船の共通印」として正式に採用され、幕府の軍艦「鳳凰丸」などに掲げられた。これが、今日につながる国旗の直接的なルーツである。
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