本能寺の変を動かした?長宗我部元親の正室・得月院の波乱の生涯

本能寺の変を動かした?長宗我部元親の正室・得月院の波乱の生涯の基礎知識と応用に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

本能寺の変によって信長が討たれ、長宗我部家は間一髪で壊滅の危機を免れました。しかし、得月院のその後の人生には過酷な運命が待ち受けていました。

得月院は元親との間に多くの子をもうけました。長男の長宗我部信親は文武両道に秀で、信長から偏諱を受けるなど将来を嘱望された名跡でした。しかし天正14年(1586年)、豊臣秀吉による九州平定戦(戸次川の戦い)において、無謀な軍監・仙石秀久の采配により信親は22歳の若さで討死してしまいます。

信親の死は、元親を狂気と絶望の淵に叩き落としました。元親は後継者争いの中で次男・香川親和や三男・津野親忠を冷遇・幽閉し、家臣を粛清するなど次第に暴君化していきます。最終的に家督を継いだ四男・長宗我部盛親は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与して改易となり、慶長20年(1615年)の「大坂の夏の陣」で敗れ処刑。長宗我部氏の嫡流は断絶することとなりました。

得月院自身は、最愛の長男・信親の戦死や家の崩壊を見ることなく、天正11年(1583年)頃に土佐の地で息を引き取ったとされています(没年には諸説あり)。自らの血縁が引き起こした天下の大動乱を見届け、一族の栄光の頂点近くで静かに生涯を閉じました。

斉藤 蓮

斉藤 蓮

デジタルマーケティングコンサルタント

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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