荻生徂徠は何をした人物か?吉宗を動かした思想と赤穂浪士切腹の真相

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徂徠の人生は、最初から順風満帆だったわけではありません。その足跡を辿ると、過酷な逆境が彼の冷徹な現実主義を育んだことが分かります。

徂徠は寛文6年(1666年)、徳川綱吉の侍医であった荻生景明の長男として江戸に生まれました。幼少期から学問の才能を発揮したものの、20代半ばのときに父が綱吉の怒りを買って配流(追放)処分を受け、一家は上総国本納(現在の千葉県茂原市周辺)での極貧生活を余儀なくされます。

農村で過ごしたこの十数年間の浪人時代、徂徠は現地の農民のリアルな困窮、土着の経済、役人の腐敗を肌身で目撃しました。この「泥臭い現場感覚」こそが、後に机上の空論を徹底して嫌うプラグマティズムの土台となります。

父の赦免に伴って江戸に戻った徂徠は、生活のために芝増上寺の寺領に私塾を開きます。毎日の食事にも事欠き、豆腐の粕(おから)で飢えをしのぎながら読書に没頭したというエピソードは有名です。

転機は元禄9年(1696年)、31歳の時に訪れました。第5代将軍・綱吉の側用人として絶大な権力を握っていた柳沢吉保に才能を見出され、知行300石の側近・学者として仕官を果たします。

柳沢邸で幕政の中枢に触れながら学者としての地位を固めた徂徠は、吉保の失脚後に茅場町へ移住。私塾「蘐園塾(けんえんじゅく)」を開き、ここから日本全国に名を轟かせる一大知性集団「蘐園学派」が誕生することになります。太宰春台や服部南郭といった卓越した弟子たちが集い、徂徠の名は天下に鳴り響きました。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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