君が代の替え歌が物議を醸す理由とは?忌野清志郎の真相と歴代騒動

君が代の替え歌が物議を醸す理由とは?忌野清志郎の真相と歴代騒動について重要なポイントを解説いたします。最新の情報をご覧ください。

国歌カバーの歴史において、最大の転換点となったのがRCサクセションのフロントマン、忌野清志郎が1999年に敢行したカバー劇です。当時、清志郎はソロアルバム『冬の十字架』に、疾走感あふれるディストーションギターを前面に押し出したパンクロック調の「君が代」を収録しようとしました。

しかし、発売直前の1999年8月、契約先であった大手メジャーレーベルのポリドール(現ユニバーサルミュージック)が突如としてアルバムの発売中止を決定します。この発売中止理由について、同社は公式には「総合的な判断」と濁したものの、水面下では国歌法制定の過熱期における右翼団体からの街宣攻撃や、親会社を含めた流通網への電凸リスクを恐れた「究極の自主規制」であったことが、関係者の証言や当時の報道各社の取材で明らかになっています。

かつて1988年、RCサクセションの反原発アルバム『COVERS』が東芝EMIから「素晴らしすぎて発売できません」という皮肉な新聞広告とともに販売延期・Kitty Records移籍を余儀なくされた事件が想起されましたが、1999年の騒動はそれを凌ぐ緊張感を帯びていました。清志郎自身は当時の特番インタビューや自身のメッセージで、次のように述懐しています。

「君が代はすごくいい曲なんだぜ。誰も歌わないから、俺がカッコいいロックにして歌っただけじゃないか」

清志郎は原詞を一字一句変えておらず、替え歌ですらありませんでした。敬意を込めてストレートに歌い上げたにもかかわらず、メディア各局はクレームを警戒して放送禁止の真相ともいえる「自主的なオンエア見合わせ」を徹底。最終的に清志郎はインディーズレーベル「SWIM Records」を立ち上げてCDリリースを強行し、オリコンインディーズチャートで首位を獲得しました。この事件は、日本社会における表現の自由と企業の事なかれ主義の限界を露呈させた象徴的ケースとして、今なお語り継がれています。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

タグ: https://keycloak.spatialest.com/echigodai/8038572/